
<生きがいを感じる「善悪」という基準>
「悪」は善の失敗物。必要悪という言葉は、本来あってはならない。誰も悪を”担う必要性はない。”
加えて、”大きな悪には、大きな善で対処し、小さな悪は小さな善で対処すべき”。
人は善に対して不満がある時があるが、その時は「善」の内容にだけ不満を持つべきで、善悪の善(善を尊び、悪に怒る)という概念自体には、不満を持つべきでない。
加えて、”大きな悪には、大きな善で対処し、小さな悪は小さな善で対処すべき”。
人は善に対して不満がある時があるが、その時は「善」の内容にだけ不満を持つべきで、善悪の善(善を尊び、悪に怒る)という概念自体には、不満を持つべきでない。
Posted by
文二
at
2012年07月19日
10:49
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