てぃーだブログ › 沖縄国際自治政策研究所 › <生きがいを感じる「善悪」という基準>

<生きがいを感じる「善悪」という基準>

 「悪」は善の失敗物。必要悪という言葉は、本来あってはならない。誰も悪を”担う必要性はない。”
 
 加えて、大きな悪には、大きな善で対処し、小さな悪は小さな善で対処すべき”。 
 
 人は善に対して不満がある時があるが、その時は「善」の内容にだけ不満を持つべきで、善悪の善(善を尊び、悪に怒る)という概念自体には不満を持つべきでない。


Posted by 文二 at 2012年07月19日   10:49
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