
<「愛」・「善」・「智」の順番>
最初に「愛」である。「善」や「智」ではない。次に「善」である。「善」は「愛」+αである。(狭義にはαのみである。)最後に「智」である。「智」は「愛」+「善」+「β」である。(狭義にはβのみである。)
キリスト教が世界を征覇しかけたのは、順番が最初の「愛」を選択したのが、歴史的・時期的・時代的に正しかったからだ。(世界が最初にとるべき中心思想だった。)
しかし、「愛」だけでは全ての問題が解決しなかった。「愛」+「α」+「β」=“愛”+“善”+“智”が、世界の秩序の進化形成の方向性に必要なのである。なお、順番が違うだけで、「愛」・「善」・「智」は、内容に優劣はない。
又、次の項目が来ると、それが終了するものでもない。(「善」の時期に、「愛」が終了するものではない。「智」の時期に、「愛」や「善」が終了するものでもない。)
「愛」の内容を大部分補足するキリスト教と、同じく「智」であるイスラム教の対立が根深いのは、「智」が本来持つべき・経るべき「善」(同じく仏教)の内容を、イスラム教が無視してしまっているのも原因のひとつとして考えられる。キリスト教に対しての反発が、発生の動機になっている可能性が高いため、反動形成して、内容が飛躍し過ぎたのではないか?と私は考えている。
社会システムの成立の順序の必然性としては、「愛」(“市民主義社会経済”)→「善」(“民主主義(市民社会)”)→「智」(“知識基盤社会”)である。
歴史的には、前後逆になっている事実があるかもしれないが、大きな流れとしては、この順序である。
なお、歴史上3者間に発生の内容と広がりには、時期的な優劣はあるが、有史以来3者ともその思想の原型は存在している。
キリスト教が世界を征覇しかけたのは、順番が最初の「愛」を選択したのが、歴史的・時期的・時代的に正しかったからだ。(世界が最初にとるべき中心思想だった。)
しかし、「愛」だけでは全ての問題が解決しなかった。「愛」+「α」+「β」=“愛”+“善”+“智”が、世界の秩序の進化形成の方向性に必要なのである。なお、順番が違うだけで、「愛」・「善」・「智」は、内容に優劣はない。
又、次の項目が来ると、それが終了するものでもない。(「善」の時期に、「愛」が終了するものではない。「智」の時期に、「愛」や「善」が終了するものでもない。)
「愛」の内容を大部分補足するキリスト教と、同じく「智」であるイスラム教の対立が根深いのは、「智」が本来持つべき・経るべき「善」(同じく仏教)の内容を、イスラム教が無視してしまっているのも原因のひとつとして考えられる。キリスト教に対しての反発が、発生の動機になっている可能性が高いため、反動形成して、内容が飛躍し過ぎたのではないか?と私は考えている。
社会システムの成立の順序の必然性としては、「愛」(“市民主義社会経済”)→「善」(“民主主義(市民社会)”)→「智」(“知識基盤社会”)である。
歴史的には、前後逆になっている事実があるかもしれないが、大きな流れとしては、この順序である。
なお、歴史上3者間に発生の内容と広がりには、時期的な優劣はあるが、有史以来3者ともその思想の原型は存在している。
Posted by
文二
at
2012年05月12日
06:48
Comments( 0 )
Comments( 0 )