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“星印”と“円”から成る、「人の生き方」と「社会の未来精神」

 モラルの“知性”の「三角形」と、大人の“責任”の「三角形」と、モラルの“感性”と大人の“行動”から成る「円(サークル)」の、4つの項目から成る、3つのモデルを協力させ、人の生き方と社会の未来精神”と呼べる1つの統合モデルを、先に提示した。

 そこから分かることは、4つの項目のうち、大人の“行動”の項目を除いた3つの項目内の構成要素による3つの分類は、それぞれ世界の三大宗教の精神に対応していたのである。“善”を含んだグループは、「仏教」の精神に、“愛”を含んだグループは、「キリスト教」の精神に、“智”を含んだグループは「イスラム教」の精神に、である。 

 大人の“行動”の項目も、本来なら、そのまま、民主主義(市民社会)は仏教(選挙で選ばれた“哲人”政治家の必要性)、市民主義社会経済ならキリスト教(市民主義社会経済は、先にブログで説明した。加えるなら“NPOによる経済(サービス)”など)、知識基盤社会ではイスラム教(歴史的には、他の文化も容認した“寛容性”と教育の“浸透性)の精神を参考にすべきだが、近代化のずれや・本来の精神が伝わらず消滅してしまったり、誤解が生じたり・それぞれの勢力圏の対立から、そのままグローバル社会全域に広がり・発展することはなかった。(キリスト教世界は、他の2宗教よりは、他の宗教を理解して政策をとっていく能力は、結果的には優っていたが、それでも現在では、単独宗教における限界を感じる事が多々ある。

 3つの宗教の精神を比較すれば、3つの宗教は、結局は同一のものを目指していたことが、良く分かる。同じ山の山頂を、仏教は“善”的な方向の登山口から、キリスト教は“愛”的な方向の登山口から、イスラム教は“智”的な方向の登山口から、目指していたことが良く分かる。三大宗教は、それぞれの宗教が目的とする分野は違うが、それぞれに世界のグローバルな“普遍”性があり、そして相互には関連性・統一性があったのである
一例では、キリスト教世界のルネサンスの誕生に関して、である。ルネサンスの創生につながった「ギリシャ・ローマ文化」の復活は、それが消滅してしまっていたキリスト教世界が、イスラム教文化内に保存されていたそれを再輸入したことから、始まった。その事は、キリスト教世界(圏)とイスラム教世界(圏)が、お互いを評価していた時代が在ったことを示す。その時期両者は、世界共通の“智”の分野における「普遍性」を、相互が理解していたのである 

 これらの事から分かるように、グローバルな世界に通用する・共通する・共感できる思想を、世界の人々が考えて欲しいし、そのために用意した『人の生き方と社会の未来精神』というモデルの知識や考え方は、世界の三大宗教の基礎知識を持っていなくては、理解・または他人に説明できないのである。

 21世紀は、ただ三大宗教がお互いに競って前に進むのでは無く、横に手を握り合い・いろいろな分野で協力して、単独の宗教・単一の単位ではできない事を、達成する事業・経験・歴史を経るものに、進む必要がある。


Posted by 文二 at 2012年03月27日   10:08
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