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「感想文」より「説明文」を!

子供には、本を読ませて感想文を書かせるよりも、まず、状況や対象について、それを他人に正確に伝える『説明文』を書かせるべきだ。(説明文を書く能力を増すこと自体のための表現力を借りる読書は必要だが。本人たちに感想文などのノルマを課かさず、本人たちの興味に従って活字・漫画両方の本を多く読むよう仕向ける。またはその方法を考える。)立派な感性と表現よりも、まず他人と正確にコミュニケーションする技術の取得の方が第一である。
最初に日記や原稿用紙を手段として使う。状況や対象を書かせ、始めのうちは感想を入れさせず事象のみ書かせる。(主題設定も本人に任す。文章や感情表現が苦手になっているのは、最初から感想文をうまい表現と統制された感覚で書く事を要求され、大人から見た採点で批評されてその批評にうんざりさせられているからだ。だから、子供に配慮して感想を書かせない。子供が自主的に感想文を書くのは認める。しかし、大人は見ない・採点しない。子供同士で感想文を見せ合うのも良いかも。子供は自分用と他人に見せる文章を分ける可能性もあるが。人格指導は、感想文とは少し別の概念でやって下さい。直接、相談に乗りやすい大人-(普通の大人や学校の先生には話しづらい事など)-今ではスクールカウンセラーか。小学校にはいるのかな。-が相談に乗ってあげて下さい。)しばらくの期間はそのことに専念させる。そして事象を細かく詳しく書けるようにさせる。(この表現の指導はする。対象の場合は、それを携帯に撮影させてくるとか。説明文は採点より指導重視。手書きで書かせる。写したものとバレなくても、手書きは写した文章の内容を理解するのに役立つ。成積は内容より、枚数と表現の緻密さと真実度を重視か。児童・生徒も、本当は真剣にほめられたいので、ズルをせず自分が書きやすい文章や伝えたい文章の表現技法を鍛えてくる。)そして、書いた文章の対象物や出来事について児童・生徒と話す。自分に起きた出来事や対象の観察をできるだけ詳しく書かせるために、何文字以上というノルマは必要かもしれない。そのときに悩みについて書いてきた児童・生徒には相談にのってあげる。児童・生徒も問題点や要求を先生に正確に伝えるために、正確な表現の研究をする。先生はそれらの内容が先生よりカウンセラーに任す方が良いと考えれば、そちらに回す。)
それらの作業はそのうちに、子供達の自分がいろんなことに感じたことも文章にしたいという、動機付けにもつながって行く。(今度は感想文を書くための表現力を学ぶために読書をする。)それらの訓練が表現力豊かな感想文の出現の誘引にもなる。(要するにこれらの作業は、うまい『つぶやき』をするための方法論である。)他人に対して説明をすることがうまくなれば、子供同士のコミュニケーション能力が増して、子供達同士に好影響がでる。その好影響により子供達の人格が豊かになれば、自分が考えている事・思っている事・感じている事を他人にうまく伝える事ができるようになって、誤解や悪意から生じるいじめなどの摩擦が減り、子供達同士が助け合えるようになる。
現在の早い時期からの感想文は、豊かな心を育てるというよりは、大人による思想統制に使われている。それから日記は、古来は文章を後の時代に伝えるという史料的価値に重きをなすこともあったり、現在では書く作業を継続すること自体を評価するという事もあるが、それらの作業よりも、本来(これからは)日記は日記に書かれた、自分が自分のことについて書いた文章を後になってから読んで、自分の人生を復習・再評価し、・それ以降からの未来の人生について考える指針とすることに重きをなすという使い方の方が、意味があると思う。


Posted by 文二 at 2011年07月08日   10:01
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